『自身でコントロール可能なことのみに集中しなさい』
台風の影響でダイヤが乱れ大混乱の最中にある駅の改札で駅員さんに食ってかかっている50代ほどの男性の姿を見てふとこの言葉が頭に浮かびました。
彼が怒声で駅員をコントロールしようとしていたのか(頭を下げさせようとでもしていたのか)、それとも自身の怒りをコントロールできていなかったのかは定かではありませんが、あの時あの方は明らかにコントロール不能なものに振り回されていました。
『自』と『他』との間に線を引く
自分がコントロールできない物事や事象に力や時間などのリソースを割くのは極力よしたほうがいいと感じています。
日常生活ではもちろんのこと、仕事においても同様です。
大原則として、他人は自分のコントロール外のところで、その人自身の自由意志に従って生きています。
いくら親だろうが恋人だろうが親友だろうが上司だろうが、他人を100%コントロールすることは不可能です。
自分と他人との間に健全な線引きができていない人は、そのことが理解できません。そのことが悔しく、憤り、あるいは失望し、悲しみます。
『~してあげたのに』
『~して欲しかったのに』
『~って言ったのに』
本来は自分の仕事ではないはずの身勝手な期待が自分と他人双方を苦しめます。
『相手が思い通りに動いてくれない』と当たり前のことに嘆く暇があったら、自身の中にある執着を捨てる努力をしたほうがずっと有益だと感じます。線を引きましょう。
コントロールできるのは自分だけ
人は誰しも程度の大小こそあれ周りの環境の影響を受け生きています。
しかしその程度が度を越えてしまうと、日常から幸福感を得るのは困難になります。
残念ですが人生は、いくら頑張っても、いくら待っても、いくら苦しみ嘆き悲しんでもどうしようもないことに溢れています。
一度しかない人生のうちさらに限りある自分の時間や活力などをそれらに強くフォーカスしてしまうと、疲弊し、人生はどんどんとジリ貧になっていってしまいます。
そういった状況を打破するには、どんなときでも自分自身の言動は自己の責任と自由意志によって決めるんだという覚悟を決めることです。その瞬間から、生きるのがずっとラクになるはずです。
そして自分の中にある有限のエネルギーは、可能な限り自分がコントロール可能なものに注ぐべきです。他人や環境のせいにする余地すら与えないほどに。
周りや環境まで変えてしまおうとする努力は本当に立派ですし、劇的でドラマチックですが、間違いなく相応の代償を支払うことになります。もし自分の人生に二度目があるなら一度は検討してみてもいいかもしれませんが…。
他人を大事にすることで自分を大事にする
そのうえで絶対に理解しなくてはならないのは、『自分勝手に生きること』との違いです。
あなたが自分の人生を自由意志で生き、『できれば幸せになりたい』と願っているのと同じように、他人もその人の人生をその人なりに頑張って生きています。
そのことをきちんと誤解なく過不足なく理解さえしていれば、少なくとも天災で動かなくなった電車を怒声で動かそうとはしないはずです。
自分のことを健全に愛せている人たちは、自分の人生を豊かにするためには周りの人たちの幸せが不可欠であるという人生の黄金律に気がついています。
周りの人たちが幸せの中を生きるための『答え』は残念ながら私は持ち合わせていませんが、『理解』と『尊重』のための努力はいつだって欠かさずにいたいと考えています。
それでも私の周りの人たちは『不十分だよ』と笑うかもしれませんが(笑)
***編集後記***
フォルクスワーゲンが自社初の電気自動車を発表しました。
細長いup!みたいですが、嫌いじゃないです(笑)