結婚し、自分の生まれや育ちを思う機会が増えました。
僕はひとりっこです。
多忙な自営の家庭で育ったので、幼い頃は寂しい思いもしましたが、なんとかそれなりに真っ直ぐ育ったのは、愛情をもって接してくれた両親と犬とねこのおかげ。
今回はそんな自分にとって大事な人達との思い出話の回になります。
父
うちの父は、THE 職人。
寡黙で短気で不器用。非常にケンカっ早く、かなりの武闘派です(そこらのあんちゃんでしたらワンパンでしょう)。
一見すると僕とは真反対な人間。
そんな父のことが小さい頃は怖くて仕方がなく、反抗なんてしようもんなら命の危険を伴うため、僕に反抗期なんてありませんでした(だから生きてます)。
父は30の時に独立し、自分で会社を立ち上げ、今現在も細々とではありますが自営をしています。
だからといって『独立してみてわかった父の偉大さ』というありがちなところに落とし込むつもりはありません。
ただ、父の強さ、『他人からどう思われようとかまわない』『大事なもののためなら命すら惜しくはない』という覚悟は、そこらの人間誰しもが備えているものではない、というのは容易に理解ができます。
そんなひどく不器用な父ですが、10年ほど前からでしょうか。変わりました。
いや、変わろうとしているのが傍目から見てもわかります。
自身のこれまでの生き方について思うところがあったのでしょう。
しかし依然として不器用なのは変わらずねこもなつきませんが、そんな父のことがかわいらしいと感じるようになったのは、僕も歳をとったからでしょうか。
母
そんな父でしたから、母の役目はただひとつ。
バランスをとる、ということ。
母という緩衝材があったからこそ、家庭も仕事もなんとか上手くいったということはまずもって違いありません。
非常に愛情深く、『自分はいいから』と、自分のことは二の次で、他人のことを心から想える、このご時世ではかなり稀有な人種だと思います。
子からすると、もう少し自分のことも大事にしてほしいと思うのが本音ですが、これが彼女の生き方なのでしょう。
自分のおっとりとした性格はどちらかというと母譲りだと思います。
父ともども、いつまでも健康で。
ペコ
ねこです。
かわいいです。
目に入れても痛くないとはまさにこのことなのでしょう。
震災の年に、うちの実家の前に落ちてました。
拾ったときは大ぶりなイモムシのようでしたが、立派に育ちました。
とても小顔で美人ちゃんですが、お腹はでっぷり。
きっとあの大きなお腹の中には、めいっぱいの夢や希望がつまっているに違いない(けっして脂肪などではない)。
愛してる。
ミー
犬です。
僕がまだ小学生だった頃、近所の河川敷で拾いました。
ダンボールの中に生後間もないであろう仔犬が5-6匹だったでしょうか、入っており、そのまま家に持ち帰ったのですが、結局生き残ったのは一番太っていた女の子一匹のみ。
ミーミー鳴いていたのでミーと名付けました。
毎日朝と夕の散歩が楽しみでした。
年老いて身体が重たくなっても、一生懸命歩き、走り、家につくと心配になるぐらいゼーゼーいってたのが今でも思い出され、フフッとにやけてしまいます。
結局10年ほど前になくなったのですが、本当に賢く優しい子でした。
あの子は今もうちの実家の庭に眠っています。
上には桜の木を植えたので、毎年この季節になるとミーのことが思い出されます。
会いたい。
最後に
家庭の数だけストーリーはあるかと思いますが、うちの家族はこんな感じです。
まとめると小綺麗にまとまりますが、傍から見るほど順風満帆にきたわけではありません。
ただ、食うに困らない生活を与えてくれたこと、『人としてどう生きるか』がいかに重要であるかを身を以て示してくれた両親には、感謝しかありません。ありがとう。
***編集後記***
オリンピック延期が決定しましたね。
近年、『オリンピックの理念』や『アスリートたちの夢』よりも『大人の都合』が肥大化し優先されがちになった当大会。
オリンピック自体のあり方を見つめ直すべき時なのでは?と、個人的には感じています。